ジンガイヲタクちゃん化の道のりについて考える。

もうはるかに昔の話だが、以前書いたノースハンプトンでのコンベンションでもらった小冊子に「The Hidden Danger of Anie Fandom」(「アニメファンに潜む危険」)と題されたコラムがあった。そこには「ヲタク化するというのはどういう状態か」と言うことが軽度から重度へと順を追ってなかば面白く、半ばノンフィクションとして書かれていた。そのプロセスと言うのは本邦との文化の違い、そして本邦と欧州との物理的距離ゆえにゆえに大変興味深いものである。また、この文章が日本人に読まれることは全く想定されていない点も、この文章を面白いものにしている。(小沢昭一調に)そんなわけで今回はこのコラムをいじってみようと思うんでありますが。

(お囃子)

とりあえず最初から順繰りに見ていくとしますか。

これを読んでいる皆さん。この場を借りて私は皆さんに警告を発したい。深刻で由々しい警告を。そう、この警告はあまりにも暗澹たるものであるがゆえに、ほぼ全く同じ意味の形容詞を敢えて2度使う必要があるほどのものである。皆さんは重大な危険に直面している。そして事によっては皆さんをその崖っぷちから引き戻すにはもう手遅れかも知れないのである!

あら、どんな警告なんですか?(タキジュン風)

そこのあなた。そう、バッグは買うつもりの無かったグッズで一杯、頭は何があろうと絶対にDVDで買わないと気がすまない20本の新作の事と、この先3か月分の家賃になるはずだった金をはたいてオークションで競り落とした等身大綾波フィギュアを一体どこに置くかと言う問題で一杯にして、今この冊子を家へ帰る列車の中で読んでいるそこのあなたのことである。

俺っすか?いや、それにしたっていまどき等身大綾波フィギュアもないんじゃ…。あんなのくれるって言われてもいらんですよ。 いや、訂正。くれるって言われたらもらいます。まんだらけに持っていくので。あんなの夜家に帰ってもそっと立ってたら絶叫するわよ。ま、いいか。いや、ちょっとよくないけど。

あなたがアニメファンであるがゆえに、重大な危険に直面していることを私は知っている。実際、あなたがこの冊子を今読んでいると言う事、すなわち、あなたがこの運命を決する週末にノースハンプトンにいたと言う事、その事実が、あなたが、もしまだそうでないと仮定するなら、既に完全なヲタクに向けての第一歩を踏み出していると言うことを物語っているのである。もしあなたが既にヲタクなら、御自分の経験に当てはまる部分を見つけて悲しげに頷きながら読み進めていただきたい。もしあなたがまだヲタクでないならば、眉根にしわを寄せ、時にはショックの表情を浮かべながらこの先を読む事になるだろう。汗などもかくかもしれない。

ま、このパラグラフにはそんなに突っ込むところも無いでしょう。「ハァ〜、それからどした?」

さて、我々皆はアニメの及ぼす基本的な危険については承知している。ピンクや青や緑の髪の毛は普通だと思うようになる。財布が痩せ始め、DVDの置き場を増やさなければならなくなる。日本に旅行したくて仕方がなくなり、他の同好の士と、暗くした部屋でアニメを見たいがために週末の誘いを断らなければならないことを国を半分横断する旅の途中(事によったら他の国への旅の途中かも知れない。「よぉ、外国の皆!」)で謝らねばならない。だが、同志の皆さん。これだけではすまない。もっと深く、たちの悪いことになっていくのである。

えー、財布が痩せるのと、DVDまたはビデオの置き場が無くなるってのは日本でも同じですわな。でも、ピンクやら青やら緑の髪が普通だとは少なくともあたしぁ思わないね。そして、アニメを見るのに国を半分横断するとか、海外まで行くなんて泣かせるじゃありませんか。そんなに大変なことなのね。そこ行くと日本人は贅沢だ。ま、海外に関しては日本とは感覚が違うのでアレなんですが。バスで外国に行けますからな。とりあえず先へ。

(ここで、皆さんが私のことを老練な歴戦の士、皆さん自身を師匠の知恵に満ちた言葉におののきながら、同時に庭で格闘技の練習をしている巫女の揺れるオパイコをなんとかもっとよく見ようとしている道場の新入りだと思っていただければよいだろう。ほれ、行って約束して来な!)

この比喩は…。オパイコがDVDおよびグッズと言うことですか。巫女さん萌え〜なのはまぁ、それはそれで。でも何かもう既に変なステレオタイプと言うか、何かずれたにおいが…。

ここにこそ本当の恐怖が潜んでいる…自分の生活がアニメの一部と化し始めるのだ。

いや、本当に。信じていただきたい。本当にそうなのである。

えっ、上の比喩ってさういふことを言いたかったですか〜?う〜ん、もしそうなら随分80年代の匂いがする設定で…。いや、しっかしそれはどうなのよ。ビョーキなのでは?とりあえずどういうことか先を見てみようじゃありませんか。

それは、我々が「ちぃ症候群」と呼ぶものから始まる。とうとう皆さんの気が狂ってしまったと思っている、周囲の「現実世界」に生きる人々の当惑と混乱をよそに皆さんは日本語の単語を覚え、そこら中を走り回って目に付くものを指差してはその名前を片端から日本語で叫びだす。「現実世界」に生きる人々の危惧はそう間違ってはいない。というのも次の段階では完璧な英単語をわざとアニメのキャラがやる悪い発音にして、実生活でそれを使い出すからだ。そう、誰かに歩み寄って「Thank you」ではなく「Sankyou」と言ってみたり、さらに悪くなると「ちっちゃな雪使いシュガー」を見た後でスーパーに入って行って、ワッフルを指差しながら声の限りに「Waho!」と叫ぶのである。(その上さらにはそのまま何パックかワッフルを家に買って帰って、多分また「ちっちゃな雪使いシュガー」を見つつ、小声で「waho, waho, waho」と幸せそうにつぶやきながら食べるのだ)

あのねー、「それで一体ぼくにどうしろと?」という感じですよ。それはやっぱりビョーキです。いや、外国語を学ぶにあたって、目に付くものの名前を片端からその言葉で言うって言うのは実際のところ一番いい上達法だってよく言いますけどね。それにしても「Sankyou」云々はあたくしの目から見りゃ何か軽くバカにされているような気もしないことも無いということも無きにしも非ずと言う可能性も否定できないような気もするんですが。しかし、全員が全員と言うわけではないですけど、コアな連中の日本語習得への情熱は大変なものですよ。独学でおそらく日本語能力検定試験の2級とか3級に受かるくらいの日本語をしゃべれるようになり、読み書きもそれなりに出来るようになるってのが結構いるんですから。好きこそ物の上手なれとは本当だ。ただね、ワホワホ呟きながら「ちっちゃな…」を見ているところを誰かに目撃ドキュンされたら救急車を呼ばれかねないですよ。少なくとも日本に来ることがあったら絶対にやめた方がいいと声を大にして忠告したい。

ここからは坂を転げ落ちるように悪化が続く。英語の語彙は完全にアニメの表現に取って代わられる。同僚のことを「baka」呼ばわりしてみたり、相手が一体それがどういう意味か理解できないことを百も承知で「arigatou」と言ってみたりする。家に帰って「tadaima」と叫んで、一緒に住んでいる他の全員を混乱させたりする。「ittekimasu!」の声に誰も反応しないことに軽く苛立ったり、「itadakimasu!」の叫びとともに丼に盛ったスパゲティを箸で食べ始める自分の姿を見た家族(と、レストランにいるほかの全員)が、気が狂ったんじゃないかと言う表情をすることに驚いたりする。

あ、段々わかってきましたよ。こりゃ日本人がすることの逆ですよ。今はまた違うだろうけれども、その昔、なんとかプレスリーの「ハウンドドッグ」を歌いたくて「空耳アワー」的方法で歌詞に無理やり日本語をつけてみたり、さういふ涙ぐましい努力と同じ類のものですわ。ただ彼らにとって不運なのは、彼らがあまりにも少数派過ぎると言うか、彼らのさういふ日本かぶれが受け入れられるほど日本の文化風習、まして言葉がこの国では一般に浸透していないってことですな。「ありがとう」くらいなら最近はたまに知っている人もいるけれど、いただきます、行ってきます、ただいま、はちょっと…。そうじゃなくたってどうも日本語、特に書かれたものは謎の言葉の最右翼と捉えられているフシがあって、テレビでとりあえず何か謎の言葉が欲しいというシチュエーションで使われるのが日本語ですから。それでも最近はちゃんと日本人のしゃべる「正しい」日本語(つまりハリウッドの物凄い日本語ではなく)が使われるのでまだいいんすけどね。それはともかく、さすがにスパゲティを丼に盛って箸で食ったら、それはまたもや救急車を呼ばれそうなので注意した方がよいでしょう。そんなことしなくたって、ちょっと大きな町なら中華街があるんだから、そこに行って丼と、インスタントラーメンと箸を買って来りゃ家で「憧れのシーン」を再現できるのにねぇ。大き目のスーパーに行きゃうどんだの焼きそばだの売ってるし。

そして表現、天下に存在するほとんどありとあらゆる言い回しや表現を置き換えることの出来る、「ほぇ〜」に代表されるようなすばらしく無意味な数々の表現だ。正しくトーンを使い分ければこういう表現は「俺ぁもう疲れた。倒れる前に寝なくては」から「私がアヒルの付いたチュチュ(訳注:バレエ衣装)を着ている半裸の美少年が出ているような作品を本当に見ているなんて信じられない」、さらには「ちょっと待てや。これが死後の生ってやつか?DVDプレーヤーはねーのかよ」までどんなことでも表せるのである。もちろん、こういった表現は自分ひとりにしか解読できない。全世界の他の人間は何のことやら理解できないまま暗闇に取り残される。

あー、ここまで来るとあと一歩ですね。何まで?電波まで。実際、本邦において実生活で「ほぇ〜」なぞとその筋の場所でならまだしも(いや、それでもあまり感心しませんがね。特に男が使うのは厳禁ですがね)一般大衆の面前で口に出して言ってるやつを見たら十分注意しないとまずいですよ。そうか、わかった。そんなにアニメ表現を使いたいなら、『とっさの時の一言アニメ表現』とか、そういう本を作りゃいいんよ。そしてその中でちゃんと「『ほぇ〜』に代表される一部の表現は日本では公衆の面前で使うことはタブーです。どうしても使いたいときはTPOをわきまえて、わかってくれる人の前でだけ使いましょう」とか、実用上の注意をちゃんと書いておけばいいのよ。そうしないと、もし念願かなって来日したときに大変なことになりますよ。しかし、チュチュを着た半裸の美少年ってどんなんよ。しかもアヒルか。白鳥じゃないのか。

言葉が変わるにつれ、生活も変わり始める。ありとあらゆる実生活のシーンが「ひなた荘」(ラブひな)を典型的なプロトタイプとするアニメの1シーンと思えてくるという信じ難い傾向が強くなる。たとえ実際には全く当てはまらないような状況でもあたかも自分がアニメの中に暮らしているような気がしてくるのである。ちょっとしたこと、例えば会話が途切れて困惑したところを視野に何気なく浮かぶもので埋めてみたりすること(私自身、最近セインズベリー(訳注:大型スーパー)でこのシチュエーションに陥った)や、自分の知っている女性全員がいつこの世の終わりかと言うくらいの暴力に訴えるかもしれないという莫とした感覚だ。苦しい状況下で自発的な一人語りに突入する、といった心惹かれるようなアニメ的傾向なぞは言うに及ばない。…ここで「心惹かれるような」というのはもちろん心理学の学生のクラスにとって、ということである。

これはもはや妄想ですな。「ヘラぶな」についてはもともとの存在自体が何と言うかこう既に妄想の域にあるというのに、それを現実に当てはめて妄想したらもうどうなってしまうことやら。まぁ、犯罪に結びつくような妄想じゃないのでいいっちゃいんでございますが、今に日常生活送れなくなるよ。いや、そうでもないか。ある意味めちゃくちゃ楽しそうだもんな。だって毎日日々是アニメなんですよ。なんかもう「ミステリーゾーン」みたいっすよ。もう少しすると一人でメシ食ってるときに向かいににキャラが座ってるのが見えたりするんですかね。誰もいないはずのシャワーに誰かが入っているのをうっかりのぞいちまって中から石鹸などが飛んでくるというヴィジョンが見えたりするんすかね。そして夢の中でキャラに話しかけられたりするんすかね。かつて「サクラ大戦2」をやりすぎて、わしの夢に紅蘭が出てきたように…。今思い出すだに背筋の凍るような体験ですよ、あれは。

他人についての意見もまたスクリーン上での体験によって形成されるようになる。昨今のギルドフォード(訳注:英サリー州の町)の完全なアニメファンの占有地であるMaison Otaku(訳注:以下の文章から察するに土地のヲタクが集まって生活しているところのようだが、ウェブサイトが死亡している為詳細は謎のままである)への非アニメファンである友人の入居を見てみるがいい。ものの数日の間に彼はそこの住人の「お気に入りの俗世の人間」になり、強烈で狡猾な「セルアニメ道」への教育プログラムにさらされていた。皆さんがこれを読んでいるなら…皆さんは自分達が誰かご承知だろう…そしてついに皆さんは我々の手に落ちた事にお気づきだろう。アニメ教会への回心者はめったに脱会することは無い。もし皆さんが再生したキリスト教者には説得力があると思ったなら皆さんはまだ何もわかっていない…。その上で、思うにキリスト教者にとってのクリスチャンロックミュージックに対して我々は道義上の優位に立っている。我々にはJポップがあるからだ。だがそれはさほど大きな優位ではない。といのも自分が3語しか話せない言葉で流暢に歌えても大していいことは無いからだ。しかもその3語は巨大ロボを起動するための言葉である。

後半はあたくしの英語力では訳が怪しいです。しかも今ちょっと一杯入っているので。それにしてもそのメゾン・ヲタクって怖そうなとこだね。今、頭の中のイメージとしてはかつての九龍城が浮かんでいるんですが。そこでの経験は言ってみれば某宗教団体の「セミナー」と同レベルなのでは…。でも誰か作らんかね。「めぞんヲタク」ってアニメ。それは「ヘラぶな」筆頭に昨今流行っているらしい寮生活系(事実上の女子寮に男一人)への強烈なアンチテーゼになりますぜ。ヲタクしか住んでいない寮。そこに一人だけヲタクじゃない人が引っ越してくる。もう想像を絶する恐怖の幕開けですよ。特に「逆ヘラぶな状態」。居住者は全員男で新しく入ってくる一人だけ女の子なのね。大惨事ですよ。もう「コレクター」とか「サイコ」とか以来の粘着質な恐怖とサスペンスの再来ですよ。怖いですね、怖いですね。いや、順ヘラぶな状態でもそれはそれでイヤですけどね。ヲタクの女の子しか住んでいない寮の管理人にヲタクじゃない男がなる。でも、少なくともそれならヘラぶなよりも面白そうなコメディーになると思いますけどどうでしょう。

そして、フェチである。いまは私が何を言わんとしているかわからないかもしれない。でも今にわかる…。率直なところ、もし皆さんがコンベンションでHentaiものかやおいものを見たなら皆さんはもう既に理解しているのである。制服、眼鏡、巫女さん、猫耳、尻尾、アンドロイド、コスプレ。そんなの男だけだろうって…ご婦人方も悦にいるのはやめていただきたい。皆さんも近いうちにe-bayでやおい同人誌を買い漁り、ヴァイスのお気に入りのキャラのオケベ小説を書いたり、その筋の状況下にあるシンジとカヲル君のエロ絵をいたずら書きするようになるのはわかっているのだから。もっとぶっちゃけよう。とあるところに羽と鎖が使われているだろう。(いや、どこかは敢えて知りたくない。知らぬが花と言うやつだ)

すいませ〜ん、いま最も熱いフェチが抜けてます。妹が入ってないです。あとメイドさんも入ってないです。いや、入っていなくてちょっとほっとしているんですがね。遅かれ早かれ彼らも妹の洗礼を受けるのだろうか。それは何と言うかご愁傷様と言うか、ええ…。

ここまで来たら残りはあと一歩しかない。

狂気への最後の一歩…それは深淵(信じられないほど入り組んだAV機器のケーブルがつながるテレビの裏にそれはある)を見たとき、その深淵が自分を睨み返した日にやってくる。

自分でコンベンションを主催するようになった日にそれはやってくる。

そしてその時には、皆さん、皆さんは既に救助が遠く遠く遠く遠く遠く遠く遠く及ばないところにいるのである…。(終)

あら?案外それはまともじゃないですか。ヲタクが高じて最後の一線を越えるなんていったら、そりゃまた、ねぇ。どういうことかは敢えて具体的に言いませんがね。それこそ救助の手が及ばないってなものですよ。しかし、ここが本邦との一番大きい違いでしょう。この国の究極のヲタク形態の一つは自分でコンベンションを開くことだという。それは何と言うかとりもなおさずどれだけアニメと言うものが未だこの国ではさほどアクセシブルなものではないか、どれほどマニアとさほどでもない人間との間に情報格差があるかと言うことの現れでしょう。コンベンション自体の感想でも述べたように、北米と比べてまだこの国のヲタクコミュニティーというのは揺りかご期を出ていない。未開発であります。それこそ、かつてこの国の人々がアフリカを暗黒大陸と呼んだがごとく、欧州、ことこの国はアニメの暗黒大陸と申せましょう。近年、徐々に欧州地域の市場開発がなされているとはいえ、果たしてこの国に仏伊独にみられるようなある程度安定した市場は果たしてあるのか。それは今後の展開が待たれるところであり、こういった草の根レベルでのファンの活動がどのように推移していくかはそれを見極めるうえでの極めて興味深い試金石となるでありましょう。そして、彼らのファンとなる過程がたとえネタとしてであっても垣間見えるこの文章は極めて意義深いものであることを強調して結びとさせていただきたいと思います。…って最後は何かキャラが変わってしまいましたけれど、とにかく、結局ろくな考察も無く慙愧の至りです。西洋のヲタクちゃん、春の小川にさらりと流しまして、また明日のこころだぁ〜っ。

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