最近このコーナーに長らく何も書いていなかったが、久々に一言物申したくなった。突然ですがまず一句。
今年の4月、「さて今年は何を見ようかのう」と思って「ニュータイプ」誌をめくっていると、この作品の紹介が目に入った。「ほほう、これはなかなか硬派というか味な物になりそうじゃないの。セッティングがヨーロッパというのも気に入った。第2のマスターキートンになるかもしれん」と思い見る事に。まず出だしは良しとしよう。ふむふむなるほど、キリカ(字を忘れた)っちゅーのの過去を使ってドラマのお膳立てがされた。うまい具合にサスペンスが設定されたっちゅうわけね。が、いかんのはそれからである。なんと言うか京極夏彦の話のようである。彼の話(といっても「ルー・ガルー」しか読んだ事は無いが)はあの膨大な分量のうち半分、いや6割近くはあっても無くてもいい、いや無かったところで話が進む上で何の支障も無い内容である。折角サスペンスの大本が設定されているのに話が一向にそれに向かって進まない。そこを通じて新しいサスペンスが設定されるというより、バスで山を上るようにその周りをぐるぐる回りながら進んでいくと、山の頂上と思っていたところは実はただの駐車場で、そこからは今度は歩いて、それも一直線に急な山を上るのではなく、これまでと同じように平坦なところをちんたらちんたら上っていくような具合に話が進むのだ。
毎回毎回暗殺のシーンがあるわけなのだが、それが一体話が進む上で役に立っているのかどうかわからない。確かにどうも「ソルダ」なる連中が関係あって自分たちとその連中との関係にも重要な何かがあるらしいということは分かるのだが、そんな事は1度言われればそれ以上しつこく押す必要も無い事である。分かっているのだから。時折「おっ、これから一辺に話が加速していくか?」と思わせる話(例えばイタリアマフィアの話の回やコルシカ島の回)があるのだが、結局そこで張られる新しいサスペンスも何かこう甘チャンな感じで結局新しい情報が何も伝わってこないのだ。「ソルダというものがある」「真のノワールなるものがある」「クロエというのはどうもよく分からない存在で、ソルダというのはそうそう単純に敵というわけでもないらしい」といった断片的情報は出てくるのだが、これは結局単なる情報に過ぎず、「そうであるから何なのか」と言う部分がすっぽり100%欠落しているように思える。うまいサスペンスというのはこの「その情報の意味は何なのか」という部分をほんの少しチラリズム的に見せる事である。が、それが全くないとこちらとしては「ああそう」とコージー冨田になって見ている以外ない。
そもそもこのサスペンスがうまく形成されない理由は話の内容自体にあるような気がする。「〜とは何か」というサスペンスの大本があまりにも何というか抽象的なのである。いや、抽象的というより無味乾燥というか、その部分にドラマが無いのだ。ソルダなりノワールなりという存在があまりにも漠然としていて、そこに誰が絡んでいるとか、それらの中、または間にどういう葛藤があるのかといった一番大事なドラマの要素が全く伝わってこない。さらに言うならこの話、登場人物といえるのがたった3人しかいない。すなわちキリカ、ミレーユ、クロエである。ただ、もっと正確に言うならこの3人のうちクロエはアウトサイダーであり、葛藤が生じる相手ではない。となると残りは二人だけ。この話はいつもいつもこの二人対漠然とした組織という形をとる。この二人の他は二人を襲う相手、すなわち抹殺するかされるか、そんな相手でしかない。この連中との間には弾丸以外のもののやり取りはまったくといっていいほどない。大体こういった連中は毎回毎回とっかえひっかえ出てきては殺され出てきては殺されするので意味のあるキャラクターとはいえない。そうするとこの話の中で人間どうしのドラマが生じうるのはこの二人だけなのだが、それさえも起こらない。人間同士のぶつかり合いの無いところにドラマなし。何話か忘れたが最近の話で地下道でミレーユがキリカに銃口を向けるシーンがあった。正確な台詞は忘れたが、そこで言われていたキリカの人間としての存在の薄っぺらさを問う台詞はある種自虐的にも聞こえる。最初にサスペンスの大本として設定されたキリカの人間性の欠如がこの話を面白くも何とも無い、無味乾燥な話にしている原因だからだ。この回で自分は何者なのかとキリカは悩むのだが、悩むのならもう少し早く悩んで欲しかった。どうもあと1月の間にその部分をドトウのように明らかにしていくという趣向らしいが、今となってはもう手遅れという感が否めない。ここまでサスペンスがことごとく弛緩してしまっているのに突然そんなものを見せられても消化不良になるか、コージー冨田化する以外どうしようもないのだ
この話から得られる教訓は
1.サスペンスとは情報を全部隠す事では成り立たない。それでは意味不明な話になってしまう。不条理劇でさえもよくよく考える事で解釈をする余地があるが、それは一件意味不明に見えるものの中にきちんとそれを考えるための手がかりが与えられているからである。
2.あるストーリーが語られる以上その話はきちんと本筋をサポートしていなくてはならない。しかもそれは今まで言われた事の繰り返しであってはいけない。情報を与えるだけの台詞や出来事ほど無意味なものは無い。脚本を書く上でのイロハのイである。
3.人間同士の葛藤の無いところにドラマなし。一人称でいくら考えたところでそれは結局伝わってこない。NPCというか、その葛藤を引き出すためだけに1回きりしか出てこないキャラクターを投入するのは愚かな事この上ない。それはとりもなおさずレギュラーのキャラクターたちは何の対立も無い無菌状態にいるという事の表れである。
まあ、要するにおしゃれなだけじゃ飯は食えねぇってことよ、ガーハーハーハーッ。
「ノワール」TX系 毎週木曜深夜 0115〜0145.