大沢タハハ本舗
シャンゼリゼ支店
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Bonjour,mesdames et messieurs,
bienvenue dans Paris!
てな訳で、今回は華の都、パリからお送りしてしまうわけである。今年(1998年)の1月27日より約1週間、僕はここに滞在した。実はパリは初めてではなく、10月の終わりに学校側の主催した「遠足」で訪れていたのだが、これがまさに「こち亀」もびっくりの(注1)ハードスケジュールで、見たんだか見てないんだか分からないじゃないの、責任者を出しなさいよバンバンッ!などと木の実ナナ(注2)になってしまいたくなるような大変な代物だったので、じっくりと見るのは事実上今回が初めてである。因みにどの位大変だったかというと、3泊4日でうち2泊は車中泊、午後8時に学校を出発して翌朝10時半にパリ着、翌日は1日自由行動で最終日は午後2時にパリ発、翌日の午前2時にご帰還という、同じ時間飛行機に乗ったら家に帰れてしまうではないか、これはいったいどういう事だ、しっかり説明してもらおうじゃないか的旅行だった。
2
今回の旅行は1月の終わりから2月の初めにかけてある学期間休みを見て不意に思い立ったものであった。スケジュール表によると、この休みは公式には1週間しかなく、更に位置づけも次学期に向けた予習のための時間ということになっていたので、初めはどこにも行かずまじめに本を読んでいようと思ったのだが、実は授業はスケジュール表にあるより早く終了し、次学期の最初の授業も、2月の第2週まで無いということが発覚し、さらによく考えてみると寮にいた所でどうせ本など大人しく読むわけも無く、マンチェスター空港撮影ツアーとかロンドン美術館博物館はしごしたるでツアー(いずれも最小催行人数1名様)などを決行してしまうに違いないと気づくにいたって、「ここは大陸だ、大陸しかない、ドッパーン(後で荒波がはじける音)」と眦決してトーマスクック旅行社へ突入する運びとなり候。大陸に行くにしてもなぜパリなのか。その理由はおいおい明らかになる。
さて、旅行の期間は1月28日から2月1日までの4日間と決めた。交通手段は言うまでもなく空路である。(このコラムを始まってからずっと読んでくれているとかいう奇特な人は僕が航空マニアだということはもうお分かりだろう)ヨーロッパ域内の航空運賃というのははっきり言って安い。クソ安と言ってもいい。「とにかく1番安い奴を」という条件で頼んだ所、ロンドン(ヒースロー)←→パリ(ドゴール)で49£(9800¥)というのがあった。但し当然のように使える便は限られるわけで、曰く
午前6時分発
午後3時半発
から選べ、ということになった。6時45分のフライトに乗るためには空港のロビーで夜明かししなければならないので、3時半発を選択。但しこれをやると終日行動できる日が3日は欲しいという当初の計画が狂うので、27日の3時半発に決定。しかし、この1月27日というのはエッセイの提出日だったのである。しかも提出は午前10時から。西村京太郎(注3)ばりに時刻表を調べた所、列車一本乗り逃がすと困難な状況が発生すると発覚。さらにこの列車に間に合うためには学校から駅までかなりの高速で歩かなくてはならない。このクラスの先生というのが時間に割といい加減で、授業のある日にこちらが定刻に行くと教室の鍵が開いていなくて待ちぼうけを食うという輩だったので、恐らく今回もそうだろうと判断。その上バックパックを背負って歩くので巡航速度もふだんより遅くならざるを得ない。怖いですね、怖いですね。
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当日、10時きっかりに突入するとすでに先生はそこにいて回収が始まっていた。おおっ、Trés bien!(早くもフランス語モードの僕である)提出後駅へ直行。15分で踏破。予定の列車まで後10分ばかり余裕が、と思ってみると前の列車が遅れて後2,3分で来る。おおっ、またまたTrés bien!列車は酷く混んでいて、客室内は座れなかったが、デッキ(注4)に補助席があるのでそこに座り、次学期のコース向けの本(やはり読まないわけには行かないので)をば取り出して読む。が、好事魔多し、この列車、当初乗る予定だった列車より停車駅が多く、ロンドンの一つ手前の駅で後から来た最初乗る予定だった列車に追いぬかれてしま
った。教訓、政治家、歯医者と英国鉄のダイヤを信用してはいけない。
ともあれ、無事にロンドン着、地下鉄に揺られること1時間で空港へ。無事機上の人となったのであった。1時間5分後につつがなく到着。(時差があるので時計の上では行きは2時間5分かかるが帰りは5分で着く)出入国カードをがっちりフランス語で書いて提出。後で判明した所によるとこのカードはスペルミスだらけだった。étudiant(学生)をétudientと書くわ、Londres(ロンドン)をLondress と書くわ、シオシオのパーであった。非常にカッチョ悪い。
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さて、空港からバスで市内へ向かうわけだが、バス停が見つからない。モンパルナスのTGVの駅やらオペラ座の前やらオルリー空港やらへ向かうバスはひっきりなしに通るのだが、ユースホステルの近くを通る351なるバスが無い。ガイドブックによるとどうも着いたのとは別のターミナルにあるようなのでとりあえずそこに移動。が、それらしきものはない。このターミナルは理科の時間に出てきたクチビルケイソウを横に2つ並べたような形をしていて、下唇と上唇の間には駐車場がある。つまり、事実上4つの建物からなっているわけだ。片方の唇を端から端まで歩いてみるがやはりバス停はなく、バス会社の案内所に人の姿は無し。ツーリストインフォメーションは上唇の方に行かないと無いようだ。上下の唇の間を行き来するにはバス以外に方法がなさそうだったので(後で判明した所によると地下道があって歩いていけた)寒風の吹き荒れる中循環バスを待って反対側へ。ここも途中まで歩いてみたがやはり分からない。ついにツーリストインフォメーションを発見し聞いた所、上唇側の反対側の端と判明。最終的に空港から脱出したのは入国から2時間後のことだった。
やっと来たバスの中は酷くウンチョス臭かった。客は他に疲れた感じのオバチャン一人だけ。小銭がほとんど無かったので50フランで払おうとしたら「つりが無いから待っているように」と言われる。次のバス停で運ちゃんはバスを降りてどこかへ消えていった。待つこと30分。まさか釣り銭が見つからないために職務放棄して逃げたのではないか(注5)と思い始めたころ、運ちゃんは戻ってきてつりをくれた。その間、客が乗ってきたが、当然運ちゃんがいないので誰も料金を払わない。(こちらのバスというのは運ちゃんから切符を買わなければならないので運ちゃんがいないとどうしようもない)うーん、いい加減だ。ただ、客達はその後でちゃんと切符を買っていたが。
空港から市内まで1時間強。途中うとうとして起きてみるとすでにバスは町中を走っている。よく考えるといったいどこで降りていいのやら分からん。車内アナウンスが無いバスというのは困ったものだ。更に日本と違って馬鹿でっかい字でバス停の名前を書いた標識が立っていたりすることはないので、地元の人間ではない限りまず間違いなく迷う。とりあえずバス停の名前は分かっていたから運ちゃんにはそこまでといって切符を買ったが、はて、どうしたもんかのう、と思っているとバスが止まって運ちゃんが振り向いて外を指した。どうもここらしい。降りようとするとユースまでの道も教えてくれた。なんていい人なんだ、とうるうるしている暇も有らばこそ、運ちゃんは真っ直ぐ行って右に曲がれと教えてくれたが、どのかどで曲がるのか分からん。しばらく行くと交差点の隅に地図があったので見ていると、後ろに人の気配。なぬ、と思い第一種戦闘配置に就きつつ振り向いた所、日本人らしき若い女性。「ユースに行かれるんですか」(僕はユースの通りの名前の書いてある予約票を手にしていた)「ええ、ええ、そうっす」「私もこれから行く所ですから」ついていってみると、ユースは地図のある交差点を曲がってほんのすこしいったところだった。
中に入ってびっくり。まあ、凄い人である。それも何だか中学生だか高校生だかのような団体の群れ。まさに阿鼻叫喚の地獄と化している。内装も見慣れたイギリスのユースとは違って原色の壁、天井、ドア。何と言うか、いかにも「ユース」という感じの、俺達若いんだから何やっても怖くないもんね、これこそ青春、太陽族だもんね、ヤングおー!おー!という感じのつくりなのである。いささかげんなりしながらフロントで待つこと20分。団体がはけるのを待っていたのだが、フランス人というのは人が待っていても平気で割り込んでくるので、いつまで待っても番が回ってこない。痺れを切らして強引に割り込んでようやく鍵をゲットだぜ!
エレベーターの中で喚きながら跳ね回るフランス人の団体の一部に囲まれながら部屋へ。部屋は3人部屋で、僕が指定されたベッドにはすでに誰かが荷物を置いていた。もう一つも足の踏み場が無いくらい荷物がぶちまけられていた(中国語のガイドブックがある所を見ると台湾人だろう)ので、仕方が無い、空いていたベッドに座って翌日の予定を立てる。しばらくして誰かが入ってきた。見るとなんと女性じゃありませんか。しまった、部屋を間違えたか、でも鍵が開いたということはここでいいはずだ、というわけで居座ることに決定。その人の説明によると(名前を聞いたんだが、忘れてしまった)台湾人の彼だか彼女だか(こうなるとどっちだか分からないので)が、今僕の座っているベッドの主で、彼女が台湾人が占有しているベッドの主だという。彼女が着いたときにはすでに台湾人は荷物を散らかしてはけた後だった。「でも、もう荷物を降ろしちゃったし、彼だか彼女だかがいつ戻ってくるか分からないから、このままベッドを交換してもいいわよね」というものだから、「いいっす、いいっす」(英語では別にこんなニュアンスは出ないが)と2つ返事でOK.が、これが後でややこしい事態を招く伏線となるとは知る由も無い僕であった。「うーむ、女性と一緒の部屋なんてけしからんじゃないの、つんつん、でもやっぱりうれしかったりするんだよね、ちょんちょん」などと広川太一郎風に鼻の下を伸ばしながらパリの第一夜はふけていった。
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